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ヘヴィメタルとジャズの関係性

重さと自由の交差点

ヘヴィメタルとジャズの関係性

ヘヴィメタルとジャズは、しばしば正反対の音楽として語られる。

片方は歪んだギター、巨大な音圧、暗い主題、リフの反復によって聴き手を圧倒する。もう片方は即興、スウィング、複雑な和声、奏者同士の対話によって展開する。メタルは「硬い音楽」、ジャズは「自由な音楽」。そう整理すれば、たしかに分かりやすい。

しかし、それはかなり単純化された見方でもある。

むしろ両者は、20世紀以降の大衆音楽の中で、身体性、技巧、音色、リズムの複雑化をそれぞれ別の方向から突き詰めてきた近縁の音楽だ。メタルは重さと反復によって身体を揺さぶり、ジャズは即興とズレによって時間感覚を揺さぶる。表面の質感は違っていても、どちらも「音楽が身体にどう作用するか」を深く追求してきた。

ブルース以後の音楽としての共通点

まず重要なのは、ジャズとヘヴィメタルがともにブルース以後の音楽文化と深く結びついていることだ。

ジャズは、アフリカ系アメリカ人の音楽文化から発展し、ラグタイムやブルースの影響を受けながら、シンコペーション、ポリフォニックなアンサンブル、即興、独自の音色を特徴としてきた。Britannicaも、ジャズをアフリカ系アメリカ人によって発展した、ヨーロッパ的な和声構造とアフリカ的なリズムの混交による音楽として説明している。Britannica

一方、ヘヴィメタルもまた、ロックンロール、ブルース・ロック、ハードロックの延長線上にある。Britannicaは、ヘヴィメタルを歪んだエレクトリック・ギター、強いビート、重いベース、しばしば暗い歌詞を特徴とするロック音楽として説明し、その形成にはSteppenwolf、Jimi Hendrixらの重いブルース志向の音楽が関わり、1970年代にはLed Zeppelin、Black Sabbath、Deep Purpleらによって定着したとしている。Britannica

つまり、ジャズとメタルは出発点から完全に切り離された音楽ではない。両者の奥には、ブルース、反復、即興、身体的なグルーヴがある。

もちろん、メタルはジャズのようにスウィングする音楽ではない。だが初期のヘヴィメタルには、ブルース・ロック由来の揺れ、長尺のジャム、即興的なギターソロ、リズムの粘りが濃厚に残っていた。Black Sabbathを聴けば、それは明らかだ。Sabbathのリフは鋼鉄のように重いが、演奏そのものは決して機械的ではない。ドラムは前に突っ込みすぎず、後ろに沈み込み、フィルは流動的にうねる。

JazzTimesの記事でも、Tony IommiがJoe Pass、Tal Farlow、Charlie Christianを好んでいたこと、Bill Wardがビッグバンドに傾倒していたこと、Sabbathの演奏がジャムを通じて形作られていたことが紹介されている。特にライブでの“Wicked World”の長尺演奏には、メタル・バンドでありながらジャズ的な即興性が見える。JazzTimes

ここで見えてくるのは、初期メタルが「反ジャズ」として生まれたわけではないということだ。むしろ、ジャズやブルースの身体感覚を、より暗く、より重く、より電気的に増幅した音楽として見ることもできる。

ジャズもまた、電気と反復へ向かった

反対側から見れば、ジャズもまたロックの電気的な強度に接近していった。

その象徴がMiles Davisである。『In a Silent Way』はジャズ・フュージョンの重要作とされ、『Bitches Brew』ではロックのリズム、電子楽器、スタジオ・エフェクトを大胆に取り入れた。Britannicaも『Bitches Brew』について、Davisがロック音楽のリズム、電子楽器、スタジオ・エフェクトを全面的に受け入れた作品として説明している。Britannica

もちろん、Miles Davisの電化ジャズはヘヴィメタルそのものではない。しかし、この流れは重要だ。なぜなら、ジャズが「アコースティックで洗練された音楽」という枠を越え、アンプ、反復グルーヴ、音響の過剰さ、長尺の緊張に向かう道を開いたからである。

メタルがブルース・ロックを重くした音楽だとすれば、電化ジャズはジャズをロック的な音圧と反復へ開いた音楽だった。両者は別々の場所から、同じ問いに近づいていた。

音をどこまで重くできるか。 リズムをどこまで複雑にできるか。 反復はどこまで快楽になりうるか。 即興はどこまで形式を破壊できるか。

ジャズとメタルの接点は、この問いの共有にある。

John Zorn以後、接点は過激化する

1980年代末から1990年代にかけて、この接点はさらに過激化する。

その中心にいた一人がJohn Zornだ。ZornはNaked CityやPainkillerなどを通じて、フリージャズ、ハードコア、グラインドコア、ノイズ、映画音楽、ダブ、即興を接続した。JazzTimesは、Naked Cityがジャズ寄りの前衛作品でありながら多くのメタルヘッズのレコード棚にも入り込んだ作品だと述べ、Zornがハードコアとフリージャズのエネルギーに近さを見出していたことを紹介している。JazzTimes

ここで重要なのは、ジャズとメタルの融合が「ジャズに歪んだギターを足す」だけではなかったことだ。

Zorn周辺の音楽では、速度、暴力性、断片化、即興、ノイズ、急激な場面転換が、音楽の形式そのものを変えている。曲は滑らかに展開するのではなく、切断され、衝突し、爆発する。ジャズの即興性とメタル/ハードコアの暴力性が結びつくことで、音楽は単なるジャンル融合ではなく、ほとんど編集的な感覚を持つようになる。

これは現代のエクストリーム・ミュージックにもつながる。ブラックメタル、デスメタル、グラインドコア、ノイズ、フリーインプロヴィゼーションは、しばしば「音楽の限界」を試す場所として交差する。美しさと醜さ、快楽と苦痛、秩序と混沌を同時に扱う点で、ジャズとメタルは思った以上に近い。

Tigran Hamasyanという現代的な交差点

この関係性を、現代的かつ美しい形で示している音楽家の一人がTigran Hamasyanだ。

Hamasyanは一般にはジャズ・ピアニスト/作曲家として紹介される。しかし、その音楽は通常のピアノ・トリオの語彙だけでは捉えきれない。Guardianは2013年の記事で、彼をビバップ、スラッシュメタル、ダブステップなどを横断する存在として紹介し、Hamasyan自身も、自分の音楽は即興という意味ではジャズだが、即興の言語はビバップではなくアルメニア民謡だと語っている。The Guardian

Hamasyanの面白さは、ピアノでメタルを「模倣」しているわけではない点にある。彼は、メタル的な思考法をピアノ、ベース、ドラム、声、民族旋律に移植している。

たとえば『Mockroot』について、NonesuchはHamasyanの音楽がジャズ、アルメニア民謡、Bach、フランス近代音楽、ダブステップ、スラッシュメタル、現代電子音楽などから影響を受けていると説明している。またHamasyan自身も、この作品を通常のジャズ・トリオというより「エレクトロ・アコースティックなアルメニアのロック・トリオ」に近いものとして捉え、ときにヘヴィメタル・バンドのように響くと語っている。Nonesuch Records

これは単なる比喩ではない。

彼の音楽では、左手やベースが低音弦のリフのように反復し、ドラムが複雑な周期を刻み、右手や声がその上を旋律的に飛び回る。ギターがなくても、構造そのものがメタル的なのだ。歪んだギターの代わりに、ピアノの打鍵、ベースの硬質な反復、ドラムの鋭いアクセントが、メタル的な重量感を作っている。

リズムが主役になる音楽

Hamasyanの音楽を考えるうえで欠かせないのが、リズムの扱いである。

Music Theory Onlineの論文は、Hamasyanの音楽において非対称拍子、オスティナート、周期構造が偶然ではなく、作曲言語の重要な要素になっていると分析している。そこでは、異なる周期が重なり、ずれ、再び合流する構造が詳しく論じられている。Music Theory Online

これは、Meshuggah以降のプログレッシブ・メタルやDjentにも通じる発想だ。一定の拍子の上に不均等なアクセント周期を重ね、聴き手の身体感覚をずらし続ける。頭では拍を数えられても、身体はどこに重心を置けばいいのか一瞬迷う。その迷いが、独特の快楽になる。

ジャズもまた、シンコペーション、ポリリズム、スウィングによって拍の重心を揺らしてきた。現代メタルも、変拍子、ポリメーター、反復リフによって時間感覚を操作する。両者は、リズムを単なる伴奏ではなく、音楽の主役にする点で共通している。

ここに、ジャズとメタルの深い接点がある。

ジャズはリズムを「揺らす」。 メタルはリズムを「刻む」。 しかし、複雑化した地点では、揺れと刻みは互いに近づいていく。

『The Call Within』に見る融合の完成度

Hamasyanの『The Call Within』は、この接点が特に明確な作品だ。

Nonesuchによれば、同作は2020年8月28日にリリースされ、Evan Marienがエレクトリック・ベース、Arthur Hnatekがドラムを担当し、Animals as LeadersのTosin Abasiも“Vortէx”に参加している。Nonesuch Records

DownBeatは同作について、Hamasyanのピアノ・アプローチにはヘヴィメタルが常に影響しており、即興の流動性、アルメニア典礼音楽の旋法、ロック/メタルへの情熱が結びついていると評している。また“Vortex”にはハードヒットするプログレッシブなグルーヴがあるとも指摘している。DownBeat

この作品を聴くと、ジャズとメタルの融合が「ジャンルの足し算」ではないことが分かる。

ジャズの側から見れば、メタルは音圧、反復、歪み、持続する緊張を提供する。メタルの側から見れば、ジャズは即興、和声の拡張、リズムの可変性、アンサンブル内の対話を提供する。両者が結びつくと、ギターソロがジャズ風になるだけでも、ピアノがメタル風になるだけでもない。

曲の時間構造、緊張と解放の設計、音色の扱い、身体の揺らし方そのものが変わる。

技巧を快楽に変える音楽

もう一つ、ジャズとメタルには大きな共通点がある。

それは、高度な演奏技術を快楽に変える音楽であるという点だ。

ジャズのビバップやポストバップは、速いテンポ、複雑なコード進行、即興の瞬発力を発展させた。ヘヴィメタル、とりわけスラッシュメタル、プログレッシブ・メタル、テクニカル・デスメタル、Djentは、精密なリフ、変拍子、超絶技巧、音の密度を追求してきた。

どちらも、単に難しいだけでは成立しない。演奏が複雑であっても、聴き手の身体に届かなければ音楽としては弱い。重要なのは、複雑さがグルーヴやカタルシスに変わる瞬間である。

Hamasyanの音楽が強いのは、理論的に複雑でありながら、民族旋律の歌心とメタル的な重量感を失わない点にある。難解さが目的にならず、あくまで身体的な推進力と情緒に結びついている。

これは優れたジャズにも、優れたメタルにも共通している。

複雑なのに、身体が動く。 激しいのに、構造が美しい。 重いのに、自由に流れている。

その矛盾を成立させるところに、両者の魅力がある。

ヘヴィメタルはジャズの自由を重くする

結論として、ヘヴィメタルとジャズの関係は、単なる「異種交配」ではない。むしろそれは、もともと共有していた地下水脈の再発見である。

初期メタルにはジャズやブルース由来の揺れがあり、電化ジャズにはロックの音圧と反復が入り込んでいた。John Zorn周辺はその衝突を前衛的に爆発させ、Tigran Hamasyanはそれをピアノ、アルメニア民謡、変拍子、プログレッシブ・メタルの語法によって、現代的で美しい形に再構成している。

ヘヴィメタルは、ジャズの自由を重くする。 ジャズは、ヘヴィメタルの重さを可変的にする。

その交差点には、単なるジャンル名ではなく、音楽がまだ別の形に変化できるという可能性がある。

歪んだギターがなくても、メタル的な構造は存在する。 スウィングしていなくても、ジャズ的な自由は存在する。 そして、その二つが出会う場所では、重さは固定されたものではなくなり、自由は抽象的なものではなくなる。

それは、身体で聴ける複雑さであり、知性で味わえる轟音である。