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Opeth『Blackwater Park』のジャケット

Album

Blackwater Park

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レビュー

2001年に発表されたOpethの第5作『Blackwater Park』は、プログレッシブ・デスメタルという呼称を広く定着させた作品の一つである。しかし、その価値を「デスメタルの重量とプログレの複雑さを融合した」という説明だけに還元すると、肝心な部分を取り逃がす。本作で重要なのは異なる様式が交互に現れることではなく、苛烈なリフ、叙情的な旋律、静かなアコースティック・ギター、長大な曲構成が、すべて同じ陰鬱な時間感覚に従っていることだ。激しさと静けさは対立項ではない。どちらも、逃げ場のない場所へ聴き手をゆっくり運ぶための手段なのである。

前作『Still Life』までにOpethは、北欧デスメタルの暗い和声感覚へ70年代プログレッシブ・ロックやフォークの語彙を導入し、長尺曲の内部で場面を大きく転換する方法を確立していた。『Blackwater Park』はその形式を根本から変更した作品ではない。むしろ、それまでやや剥き出しだった接合部を研磨し、異質な要素が一つの音響空間で呼吸できるようにした作品である。公式ディスコグラフィーに記載された全8曲は、短いピアノ曲「Patterns in the Ivy」を除けば、多くが複数の展開を抱える長大な構成を取る。制作にはPorcupine TreeのSteven Wilsonが共同プロデューサーとして参加し、ギターやピアノ、クリーン・ボーカルも加えた。彼との初の本格的な協働は、後のOpethの音響設計にも大きな影響を与える転機となった。

冒頭の「The Leper Affinity」は、本作の設計思想をほとんど一曲で提示する。鋭角的なギターとMartin Lopezの流動的なドラムが前方へ突進する一方、リフは単純な反復によって圧力を作るのではなく、アクセントやフレーズの長さを微妙に変えながら足場を不安定にする。Mikael Åkerfeldtのグロウルも、リズムへ密着して攻撃性を強調するだけではなく、コードの濁りをさらに厚くする音色として働く。その後に現れるクリーン・ボーカルやピアノは休息の場面に思えるが、調性の影は消えない。静かな部分は暗闇から脱出する窓ではなく、暗闇の奥行きを確認するための空白である。

「Bleak」では、その方法がより滑らかになる。重い下降リフ、Martin Méndezの低くうねるベース、ÅkerfeldtとWilsonのクリーン・ボーカルが、別々の様式として区切られず、一つの旋回運動を作り出す。とりわけ歌唱の重なりには、デスメタルの圧迫感を失わないままメロディを前景化する巧さがある。キャッチーではあるが、明朗ではない。旋律は出口を示すのではなく、同じ場所へ戻ってくる経路を美しく装飾する。この循環性が、本作を複雑でありながら記憶しやすいものにしている。

一方、「Harvest」や「Dirge for November」の前半に現れるアコースティックな響きは、フォーク的な素朴さを借りながら、牧歌性には向かわない。弦を指で擦る気配や、近くに置かれた声の湿った質感が残されているため、音数が減っても空間は軽くならず、むしろ聴き手との距離が縮まる。「Harvest」の簡潔な歌構造はアルバム中でも異例だが、その親しみやすさはポップな解放感ではなく、諦念を穏やかな輪郭へ整えたものだ。対して「Dirge for November」は静寂から極端な重量へ移行し、再び力を失う。その構成は劇的でありながら、勝利や浄化には結びつかない。上昇した感情が頂点で反転し、崩れながら元の沈黙へ戻っていく。

ここで重要なのは、Opethの演奏が非常に技巧的でありながら、技巧そのものを見せ場にしていない点である。変則的な区切りや急激なテンポ感の変化は多いが、Dream Theater的な機械精度を誇示する方向とは異なり、各展開は呼吸や疲労、ためらいといった身体的な時間に結びついている。Lopezのドラミングはブラストビートから繊細なシンバルワークまでを移動しながら、曲を拍子の檻へ閉じ込めない。Méndezのベースもギターの根音を補強するだけではなく、フレーズの下で別の曲線を描き、長尺曲に持続的な流れを与える。テクニカルだが、冷たくない。構築物でありながら、生物のように揺れている。

終曲「Blackwater Park」は、その両義性を最も苛烈な形で集約する。反復されるリフは簡潔だが、ギターの層、声の配置、ドラムの密度が段階的に変化するため、同じ場所を周回するたびに景色の腐食が進む。タイトルはドイツのプログレッシブ・ロック・バンド名に由来するとÅkerfeldtが説明しているが、本作の音は70年代プログレへの単純な懐古ではない。古いプログレの長大さや陰影を、デスメタルの低音、歪み、身体的圧力によって再設計している。

アルバム全体の音像は、各楽器の輪郭を比較的近くに置きながら、残響と多重録音によって背後だけを深くしている。そのため、広大な風景を眺めるというより、湿った森林の中で視界の届かない奥行きを感じるような聴取体験になる。枝や地面は手で触れられるほど近いのに、その先がどこまで続くのか分からない。この感覚を支えるのが、重低音の量だけに頼らないミックスと、静かな部分でも緊張を切らさないコード進行である。暗いのに心地よいのではない。暗さが細部まで制御されているからこそ、その内部へ長く留まることができるのだ。

後半では類似した「静―動」の推移が重なり、形式上の意外性がやや薄れる瞬間もある。また、この作品以降に同系統のバンドが急増したため、現在では本作の語法そのものが既視感を伴って聞こえる可能性もある。とはいえ、それは作品の弱さというより、影響力の大きさが生んだ逆説だろう。『Blackwater Park』はデスメタルとプログレッシブ・ロックの中間に位置する作品ではない。両者に共通して潜んでいた、反復によって時間を変形させる力、暗い和声を巨大な建築へ育てる力を引き出し、独自の形式として完成させた作品である。複雑さと即効性、暴力性と繊細さ、古典性と異物感が互いを弱めず、むしろ一つの深い陰影を作っている。ジャンルの代表作という評価を越えて、長尺のヘヴィ・ミュージックがどれほど緻密に感情の速度を操作できるかを示した傑作である。